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犬の生活
 「犬の生活」佐藤亜紀著(「小説現代」2014年5月号掲載)

〈女どもの欲望を満たすために母親の乳房からもぎ離されて〉〈毎日ガラス一枚を隔てて通りに立たされ〉、五千円まで値下げされて、こうた君に買われた「おれ」が〈反吐と糞の臭いがする〉最低の暮しを語る。

犬猫に幼児語でアテレコしているブログとかを見るともやもやするが、「犬の生活」の場合は愛らしい小型犬が「おれ」という一人称で毒づく。こうた君のほうが幼く語彙に乏しい語り。こうた君は女を部屋に誘うために「おれ」を買う。だから犬には興味がない。で、狙っている女にこう声をかける。

――前犬飼ってたって言っただろ。だからどうしたらいいか教えてくれらんない?

この〈くれらんない〉という一言で、こうた君の知的程度がわかる。すごい。他の小さな生き物の力を借りなければ交尾ひとつできない男。男の意図に気づかないふりをする女。

「おれ」はガラスの内側から外に連れだされ、別のガラスの中に入れられ、最後にまたガラスの外に出される。犬の生活も人の生活もガラス一枚隔てただけで糞のようであるのは変わらない。ただ、こうた君と女は糞の風呂に浸かっていい湯加減だが、「おれ」は糞には我慢ならないと吠え続ける。
| 日々短篇 | 14:10 | - | - |
目に見えないコレクション
 「目に見えないコレクション ドイツ、インフレーション時代のエピソード」シュテファン・ツヴァイク著、辻瑆訳(『書物愛[海外篇]』所収)

品揃えが心細くなり、古い顧客のリストを調べていた骨董屋は、店でいちばん古いお客からきた手紙の束を発見する。昔は手紙の男のような〈しがない田舎者〉がすばらしいドイツ木版画を買うことができた。骨董屋は興味を惹かれて、男を訪ねる。男は盲目になっていたが、喜んで自分のコレクションを見せようとする。

男、骨董屋、そして読者。いずれの目にも、コレクションは見えない。見えないからこそ、ひとつしかない貴重なコレクションになる。滑稽で、悲しくて、美しい話。

『書物愛』にはツヴァイクの作品がもう一篇入っている。「書痴メンデル」。こちらもおもしろい。本のことならなんでも知っているメンデルの数奇な運命。彼のことを最後までおぼえていた人たちのやりとり。末尾の一文があとを引く。
| 日々短篇 | 03:09 | - | - |
野次馬
「野次馬」フアン・ガブリエル・バスケス著、久野量一訳(「すばる」2014年4月号掲載)

われわれは一人ではないことに午前中のうちに気づいていた。

という一文で始まる。川沿いに集まった野次馬=〈われわれ〉の様子が描かれ、そのなかに行方不明になった妻の夫が混じっていることが明かされる。20行ほどで〈即席の誘拐犯〉に襲われた夫婦がどうなったかを記述し、あっという間にレスキュー隊員の話に移る。めまぐるしく濃密な語り。

〈われわれ〉は川に潜ったレスキュー隊員が妻の死体を引き上げるのを待つ。夫が茂みのなかにうずくまってしまったことをきっかけに、〈われわれ〉は現実に戻るのだが、その後の展開が恐ろしい。凶暴な肉食の蟻を観察しているときの気持ちってこんな感じかもしれない。

訳者の解説によれば、バスケスは1973年、コロンビアのボゴダ生まれ(同い年だ!)。『物が落ちる時の音』(未訳)でスペイン語圏の文学賞として有名なアルファグアラ小説賞を受賞。〈いま最も注目されているラテンアメリカ文学作家の一人〉とのこと。

アルファグアラ文学賞2011がフアン・ガブリエル・バスケス氏へ。 ※「セルバンテス文化センター」の公式ブログの記事
| 日々短篇 | 03:24 | - | - |
水のなか
 ジュディ・バドニッツ「水のなか」(「文学界」2013年9月号掲載)

夏休み、伝染病が蔓延する都会からやってきた“いとこ”のマティ。本物のいとこではなくて、“わたしたち”のお父さんの古い知り合いの娘だ。両親を失い、夏の間、わたしたちの家で過ごすことになった。わたし(キャサリン)と妹のリリーはマティに部屋を奪われたし、いかにもハイカラな都会人という感じの彼女が気に入らない。

わたしたちが楽しみにしているプールに着いてきたマティは、フェンスの向こうを指して「あの子たちは誰?」と言う。わたしたちの町のプールで泳いでいるのは白人の子供だけ。毎年、黒人の子たちはフェンスの向こうに立ってただ見ている。マティは「こっちにいらっしゃいよ」と声をかける。そのひとことが、カタストロフの引き金に……。

見る者と見られる者がぐるっと入れ替わる話は好きだ。子供のころ、プールでダルマ浮きをするのにハマっていたことも思い出した。あの圧倒的にひとりになれる感じ。読んでいてゾッとするけど、夜のプールに行ってみたくなる。

“いとこ”のマティは、夜の泳ぎは空を飛んでるみたいだと言う。本当なのかウソなのかはわからない。彼女を見ているかぎり、とてもそんなふうには見えない。でももしかしたら、実際の感じはちがうのかもしれない。水と暗闇がまざりあって、どこからが水でどこからが夜なのか、わからなくなるのかもしれない。水面に星影が映って、星空の下にいるのではなく、星たちのあいだに浮かんでいるような気がするのかもしれない。ただ想像するしかない。いつか確かめようと思う。

「すばる」9月号掲載の「プール」(ベン・ルーリー)もあわせて読むと吉。両方とも岸本佐知子さんの訳です。
| 日々短篇 | 02:10 | - | - |
ショッキングな事故
「ショッキングな事故」グレアム・グリーン(『見えない日本の紳士たち』収録)

9歳のジェロームは〈ショッキングな事故〉で父親が亡くなったと知らされる。旅先のナポリで街を歩いているときに、上から豚が落ちてきたのだ。親友にそのことを打ち明けると、ジェロームは〈ブタ〉と呼ばれるようになる。

自分にとっては悲痛な出来事が、他人からするとおもしろい話になってしまう悲しさ。事故の顛末を聞いたときの反応や、父親の死の滑稽な要素を最小限にする話し方を練習するところで、ジェロームという人が大好きになった。
| 日々短篇 | 01:47 | - | - |
パウリーナの思い出に
「パウリーナの思い出に」アドルフォ・ビオイ=カサーレス(『ダブル/ダブル』収録)

「僕」は幼なじみのパウリーナとやがて結婚するだろうと思っていた。〈君を愛してる〉なんてあらためて言ったことはないけれど、自分と似ている彼女に夢中だった。パウリーナも本の余白に〈私たちの魂はすでに結び合わされています〉と書きつけていた。「僕」が友達を家によぶときはいつもご馳走を用意し、お客の相手をした。

「僕」はある日、フリオ・モンテーロをほかの作家に紹介するためのパーティを開いた。パウリーナは「僕」と真逆のタイプのモンテーロと恋に落ちてしまった。「僕」は失意のうちにイギリスへ留学する。2年後、帰国した「僕」の目の前にパウリーナがあらわれる。

誰かを好きになると自分に似ていると思いがち(で、限りなく同化しようとする)だが、それは錯覚だということがよくわかる。大嫌いな人間のほうが深いところで通じ合っていたりして。

訳者の解説にもあるように〈恋人が、別の男の心という一種の「鏡」を通して戻ってくる〉ところが怖い。中国の小さな馬の置物、雨の音の使い方もすごい。あと庭の描写。

午後の淡い光を受けたところを玄関のガラス戸越しに見ると、その小さな庭は、時に湖底に沈んだ森のような不思議な様相を呈した。夜にはライラックの鮮やかな花の色とオレンジ色の照明とで、不気味なお菓子の楽園に変わった。モンテーロが見たのは夜のほうだった。

もう一度、この庭が出てきたときの不穏な感じが、印象に残っている。
| 日々短篇 | 10:43 | - | - |
どこへ行くの、どこ行ってたの?
ジョイス・キャロル・オーツ「どこへ行くの、どこ行ってたの?」(『どこにもない国―現代アメリカ幻想小説集』収録)

15歳のコニーは、自分が可愛いことを知っていて、地味な姉や口やかましい母を馬鹿にしている。いまは夏休み。週に何度か、一番仲よくしている子の父親の車で、ショッピングプラザに連れて行ってもらうのが楽しみだ。夜11時に友達の父親が迎えに来るまで、ぶらぶら歩いたり、年上の男の子がたむろしているドライブイン・レストランに行ったりしている。

音楽を聞いて、声をかけてきた男の子と一緒に過ごして。〈生きていることの混じりけなしの悦びを感じながら空気を吸い込んだ〉とき、視界に入ってきた〈もじゃもじゃの黒髪の、金色に塗ったおんぼろのコンバーチブルに乗った男の子〉。彼はコニーに〈いつかつかまえるからな、ベイビー〉と言った。

ある日曜日。一人で家に残っていたコニーのところに、そのもじゃもじゃ黒髪の男の子、アーノルド・フレンドがやってくる。それからの展開がめちゃくちゃ怖い。執拗にドライブに誘われるだけなんだけど、コニーを取り巻く世界が一変したことがわかる。

君がいままでいた場所はもうそこにない、君が行くつもりだった場所は打ち消された。
| 日々短篇 | 02:47 | - | - |
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